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東京地方裁判所 昭和39年(ワ)6963号 判決 1968年2月26日

原告 山岸静子

<ほか一名>

右両名訴訟代理人弁護士 品田四郎

被告 桜井孝子

<ほか一名>

右両名訴訟代理人弁護士 落合勲

同 深沢孝雄

主文

一、被告桜井孝子は原告山岸静子に対し、別紙目録第二記載の建物を収去して、同目録第一の(い)記載の土地を明渡し、かつ昭和三九年八月六日以降右明渡し済みに至るまで一ヵ月金六〇〇円の割合による金員を支払え。

二、被告植竹ヨネは原告山岸静子に対し、別紙目録第二記載の建物から退去して、同目録第一の(い)記載の土地を明渡せ。

三、被告桜井孝子は原告山岸よしに対し、別紙目録第二記載の建物のうち、同目録第一の(ろ)記載の土地上に存する部分(別紙図面の斜線を施した範囲の建物部分)を収去して、同目録第一の(ろ)記載の土地を明渡せ

四、訴訟費用は被告らの負担とする。

事実

第一、当事者の申立

一、原告山岸静子 主文第一、二、四項同旨の判決ならびに仮執行の宣言。

二、原告山岸よし 主文第三項同旨および「訴訟費用は被告桜井孝子の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言。

三、被告ら両名 いずれも「請求棄却」の判決。

第二、当事者の事実上の主張

一、原告山岸静子関係

(原告)

(一) 請求原因 別紙目録第一の(い)記載の土地(以下本件(い)の土地という)はもと訴外大野俊夫の所有であったが、昭和三八年一二月二七日原告静子が同訴外人からこれを買受けてその所有権を取得した。ところが被告桜井は、昭和三九年八月六日以前から右土地の上に別紙目録第二記載の建物(以下本件建物という)を所有して右土地を占有し、原告静子に対し賃料相当の一ヵ月六〇〇円の割合による損害を与えており、被告植竹はこれに居住して右土地を占有している。よって原告静子は、所有権に基づき被告桜井に対し本件建物を収去して本件(い)の土地を明渡すこと、および本訴状送達の翌日である昭和三九年八月六日以降右明渡し済みに至るまで一ヵ月六〇〇円の割合による損害金の支払いを求め、被告植竹に対し本件建物から退去して本件(い)の土地の明渡しを求める。

(二) 抗弁に対する答弁 (1) 既判力の抗弁につき、大野俊夫が被告ら両名に対し、その主張するような訴を提起したところ、請求棄却の判決がなされ、これが確定したこと、および原告静子が右訴訟の口頭弁論終結後に本件(い)の土地を大野から買受けたものであることは認めるが、その余は否認する。なお被告ら主張の旧建物は、昭和三九年七月ごろ被告桜井がいったん収去して、その跡に従来の敷地の範囲を超えて本件建物を建てたのであって、右訴訟の目的土地である八坪の土地は、本件(い)の土地と同一ではない。

(2) 占有権原の抗弁につき、本件(い)の土地を原告静子の弟である山岸巌が大野から賃借していたこと、被告桜井の父の桜井仁三郎が昭和二一年四月ごろ右土地の上に、山岸巌に無断で旧建物を建築所有してこれを占有するに至ったこと、桜井仁三郎は昭和三二年二月八日死亡し、被告桜井がこれを相続し、その後旧建物につき所有権保存登記手続をしたこと、山岸巌は昭和三三年五月六日死亡し、原告よしがその相続人であること、被告植竹が被告桜井の母であること、以上の事実は認めるがその余の事実は否認する。なお桜井仁三郎が右のとおり無断で旧建物を建ててしまったので、山岸巌は昭和二一年九月二四日桜井仁三郎に対し、旧建物の敷地であった七坪部分の土地(別紙目録第一の(ろ)記載の土地。以下本件(3)の土地という)の使用を許したのであるが、右は使用貸借であって賃貸借ではない。しかも右使用貸借は、目的土地の返還時期を昭和二七年三月九日とする旨の約定であったから、右返還期限の到来により、または借主たる桜井仁三郎が右のとおり死亡したことにより、いずれにしてもすでに終了している。

(二) 再抗弁 仮に山岸巌が桜井仁三郎に対し賃貸したものであるとしてもその目的土地は本件の(ろ)土地であったが、

(1) 右賃貸借は仮設住宅建築のための一時使用の賃貸借であって、その期限は昭和二七年三月九日と定められていたので、期間の満了により右賃貸借は終了した。

(2) 昭和二三年一〇月一日山岸巌と桜井仁三郎との間で、期限を昭和二七年三月九日として、右賃貸借を合意解除したので、右賃貸借は終了した。

(3) 桜井仁三郎は右賃貸借に基づき旧建物を建築所有していたところ、旧建物は昭和三九年七月ごろ朽廃し、被告桜井はこれを収去して本件建物を建築した。したがって右賃貸借は建物の朽廃によって終了した。

(被告ら両名)

(一) 請求原因に対する答弁 すべて認める。

(二) 抗弁 (1) 本件(い)の土地の前所有者である大野俊夫は、かつて、「台東区浅草千束町一丁目九六番九号、宅地六一坪三合六勺のうち八坪部分」の所有権に基づき、被告桜井に対しその上の建物(木造亜鉛メッキ鋼板葺平家建居宅一棟、建坪七坪九合。以下これを旧建物という)を収去してその敷地たる右八坪の土地を明渡すべきことを、被告植竹に対し右建物から退去して右土地を明渡すべきことを、それぞれ求める訴を台東簡易裁判所に提起したところ、同裁判所は昭和三八年二月一一日、大野の右請求をいずれも棄却する旨の判決を言渡し、大野がこれに控訴することなく右判決は確定した。右の旧建物は被告桜井がその後二階を増築して本件建物となったものであり、右訴訟の目的とされた八坪の土地は、正確な実測の結果本件(い)の土地の坪数となったものであって、本件の土地と同一の土地である。よって大野は右確定判決の効果により、被告ら両名に対し、本件(い)の土地の所有権に基づきその明渡しを請求することができない立場にあったものであるが、原告静子は右訴訟の口頭弁論終結後に大野から本件(い)の土地を買受けたものであるから、右大野の立場をそのまま承継したこととなり、本件(い)の土地の所有権に基ずく本訴請求は、右判決の既判力に牴触し、許されないものである。

(2) 被告らは正当な権原に基づいて本件(い)の土地を占有している。すなわち、本件(い)の土地はもと原告静子の弟である訴外山岸巌が大野から賃借していたところ、被告桜井の父である訴外桜井仁三郎が昭和二二年五月ごろ、山岸巌から右土地を、建物所有の目的で、坪数を約一〇坪とし、賃料一ヵ月坪当り三〇銭の約定で賃借(転借)したものであって、桜井仁三郎はそのころ山岸巌に対し権利金として三〇〇円を支払ったものであり、大野は右転貸借につき承諾をした。しかして桜井仁三郎は右賃借権に基づき右土地の上に旧建物を建築していた(但し仁三郎が旧建物を建築したのは賃貸借成立以前の昭和二一年四月ごろであって、当初は巌に無断で建てたものである。)が、昭和三二年二月八日死亡し、被告桜井が相続により旧建物の所有権とともに右賃借権を取得し、また巌は昭和三三年五月六日死亡し、その母である原告よしが相続により賃借人ならびに転貸人の地位を承継した。ところが原告よしは当時すでに七〇才を過ぎており、また巌は戦後肺結核で病床にあったので、巌死亡前から山岸家の主宰者たる地位は原告静子に移っていたので、巌死亡後は自然の成り行きとして、原告静子が、形式上巌の相続人たる原告よしから、本件(い)の土地についての賃借権および転貸人たる地位を暗黙のうちに譲り受けたものである。よってその後昭和三八年一二月二七日原告静子が大野から右土地の所有権を取得したことにより、被告桜井は右土地の所有者たる原告静子からこれを賃借する関係となったものである。

仮に右暗黙の譲渡の事実がないとしても、被告桜井は右のとおり適法な転借人であったところ、昭和三六年七月二六日旧建物につき所有権保存登記手続をしたので、その後に本件(い)の土地の所有権を取得した原告静子に対し、原告よしからの転借権をもって対抗し得るものである。

被告植竹は、被告桜井の母であって、同被告の家族として本件建物に居住して本件の土地を占有している。

(三) 再抗弁に対する答弁 すべて否認する。

二、原告山岸よし関係

(原告よしの請求原因)

原告よしの子である山岸巌は昭和二一年九月二四日被告桜井の父桜井仁三郎に対し、本件(ろ)の土地を、返還時期昭和二七年三月九日として、無償で貸し渡した。よって右期間の満了により右使用貸借は終了した。仮にそうでないとしても借主たる仁三郎は昭和三二年二月八日死亡し、これにより右使用貸借は終了した。しかして仁三郎の死亡によって被告桜井が相続により右土地の返還義務を承継し、また巌は昭和三三年五月六日死亡し、原告よしが右土地の返還請求権を相続により取得した。ところが本件(ろ)の土地上には、別紙図面記載のとおりその範囲を超えて本件建物が建築されており、本件(ろ)の土地上に存する部分は、同図面の斜線を施した建物部分である。よって原告よしは被告桜井に対し使用貸借終了による返還義務の履行として、本件建物中の、本件(ろ)の土地上の部分を収去して、右土地の明渡しを求める。

(被告桜井の答弁)

桜井仁三郎および山岸巌が原告主張の日に死亡したこと、被告桜井、原告よしがそれぞれの相続人であること、および本件(ろ)の土地上に原告主張のような建物が存在していることはいずれも認めるが、その余の事実は否認する。なお被告桜井が前に主張したとおり、仁三郎は巌から右建物の敷地である本件(い)の土地を賃借したものである。

第三、証拠関係≪省略≫

理由

一、原告静子の被告ら両名に対する請求について。

(一)  本件(い)の土地がもと大野俊夫の所有であり、昭和三八年一二月二七日原告静子が同人から買受けてその所有権を取得したこと、被告桜井が昭和三九年八月六日以前から右土地の上に本件建物を所有し、被告植竹がこれに居住して、いずれもこれを占有していること、および右土地の賃料相当額が一ヵ月六〇〇円であることは当事者間に争いない。

(二)  まず既判力の抗弁につき判断する。大野俊夫が台東簡易裁判所に対し旧建物の敷地八坪の所有権に基づき被告桜井に対しては旧建物を収去して、被告植竹に対しては旧建物から退去して、それぞれ右八坪の土地を明渡すべきことを求める訴を提起したところ、同裁判所は昭和三八年二月一一日大野の右請求をいずれも棄却する旨の判決を言渡し、右判決は大野が控訴することなく確定したこと、および右訴訟の目的となった土地は改築前の本件建物である旧建物の敷地八坪であって、これが本件の土地と完全に一致するかどうかはともかく、少くともこれが本件(い)の土地の範囲を超えるものではなく、したがって本件(い)の土地と重り合う限度においては本訴の目的土地と同一の土地であることは当事者間に争いなく、原告静子が大野から本件(い)の土地を買受けたのが前記のとおり昭和三八年一二月二七日であるから、原告静子が右訴訟の口頭弁論終結後に本件(い)の土地所有権を大野から承継したものであることは明らかである。≪証拠省略≫によれば、右訴訟において、大野俊夫からの旧建物の敷地の所有権に基づく右土地明渡請求に対し、被告らはこれに対抗し得べき権原として山岸厳が大野から右土地を賃借していたところ、被告桜井の父でありかつ被告植竹の夫である桜井仁三郎がこれを転借し、右転借につき大野の承諾があったこと、および原告静子が厳を、被告桜井が仁三郎をそれぞれ相続したことにより、被告桜井は原告静子からの適法な転借権をもって大野に対抗し得る旨主張し、裁判所はこれを容れて大野の請求を棄却したものであることが明らかである。

以上認定の事実によれば、本件既判力の問題は、土地所有者が土地占有者を被告として、所有権に基づき土地返還請求の訴を提起し、被告の賃借権の抗弁が認められたがために、請求が棄却された場合、右判決の効力は、右訴訟の口頭弁論終結後に土地所有者からその土地の所有権を特定承継した者に及ぶかということである。

民事訴訟法第二〇一条第一項は、確定判決は口頭弁論終結後の承継人に対し効力を有する旨規定している。右規定にいう口頭弁論終結後の承継人には、特定承継人を含むのであるが、何人がこの特定承継人に当るかは、請求の原因たる権利または法律関係の実体法的性格によって異なる。一般には、訴訟物をめぐる紛争の解決について、当事者と同視すべき地位すなわち訴訟物たる特定の権利または法律関係を争うことのできる地位を前主から承継した者を指す。大野の被告らに対する前訴の訴訟物たる権利関係は、土地の所有物返還請求権である。所有権返還請求権の成立の要件は、(1)請求権の主体が物の所有権を有し、(2)請求権の相手方がその物を占有し、(3)相手方がその物を占有するについて請求権の主体に対抗する権原を有しないことである。所有物返還請求の訴においては、(3)の要件の存在が被告の抗弁であるから、被告が原告に対抗できる占有権原として、永小作権、地上権などの物権的なもの、または賃借権、使用借権などの債権的なものの存在を立証すれば、(3)の要件を欠くものとして、その請求は棄却されるし、被告が占有権原を立証できなければ、占有権原がないものとして(3)の要件を充たし、同時に(1)および(2)の要件を充足するときは、所有物返還請求権の発生が認められて、請求が認容される。大野と被告らとの前訴においては、(1)(2)の要件が認められたが、(3)の要件が認められず、したがって所有物返還請求権は発生しないものとして、請求が棄却されたわけである。原告は大野から土地の所有権を譲り受けたことにより、(1)の要件を承継したのであり、また被告らの占有は、土地所有者が大野であった当時から継続しているから、(2)の要件にも変動がない。この限りにおいては原告は、大野の紛争解決についての地位を承継しているが、問題は、(3)の紛争解決の地位の承継である。賃貸借関係は、対人的な債権関係であるから、賃借人は、特別の規定のない限り、土地の賃借権をもって土地の第三取得者に対抗できない。原告の前主大野と被告らとの間においては、賃借権の存否が争われ、これが存在するものと判断されたのであるが、原告と被告らとの間においては、これとは別個に右賃貸借関係の対抗力が紛争の対象となるのであって、これを措いて両者間の所有物返還請求権の存否を決めることはできない。すなわち前訴における紛争の解決が、本訴における紛争解決の基準とならないのである。そうすると原告は、紛争解決について大野と同視すべき地位を承継したものとみることはできないから、原告は、大野の特定承継人ではないと解すべきである。

こう解さないと、次のような不合理な結果を招来する。すなわち、被告が所有者に対抗できる賃借権の発生要件事実を立証して、請求が棄却されたが、被告が右賃借権をもって新所有者に対抗できない場合は、前主と被告との間の賃貸借関係は、新所有者に承継されないから、新所有者は、被告に対し所有物返還請求権を有することになる。しかし新所有者と被告との間の所有物返還請求の訴に、前訴の既判力が及ぶとすると、新所有者たる原告は常に敗訴を免れず、しかも被告との間に新な賃貸借の締結を欲しないのであるから、永遠に被告の不法占有を坐視するより外ないことになる。既判力は、このような不合理を是認するために存在するものではない。要するに、土地の所有物返還請求が、被告の賃借権の抗弁が認められて棄却された場合、その判決の既判力は、口頭弁論終結後に土地の所有権を譲り渡けた者に及ばないと解するわけである。

(三)  そこで被告ら主張の占有権原の有無につき考える。本件(い)の土地を原告静子の弟の山岸厳が大野から賃借していたこと、被告桜井の父の桜井仁三郎が昭和二一年四月ごろ厳に無断でその上に旧建物を建築したこと、およびその後時期はともかくとして厳と仁三郎との間で旧建物の敷地に関し(但しその範囲が本件(い)の土地に一致するかどうかはともかく)賃借契約がなされたことは当事者間に争いない。被告らは右貸借関係は賃貸借であって、賃料は当初一ヵ月坪当り三〇銭であり、なお権利金として三〇〇円の授受があった旨主張し、≪証拠省略≫中には右主張に沿う部分もあるが、賃料ならびに権利金の授受があったことを裏づけるに足りる領収証等の文書が存しないばかりか、≪証拠省略≫は、≪証拠省略≫に照し、採用できず、他に右賃貸借の成立を肯認するに足りる証拠もない。

かえって仁三郎が当初厳に無断で本件(い)の土地に旧建物を建築したとの右当事者間に争いない事実と≪証拠省略≫によれば、仁三郎は昭和二一年四月ごろ、戦災による焼跡となっていた本件(い)の土地内に旧建物を建築していたところ、同年九月二四日厳が仁三郎に対し、右建物の敷地を無償で使用することを許したこと、その後昭和二三年一〇月一日厳と仁三郎との間で右建物の敷地を間口二間、奥行三間半の七坪として確定し、その返還の時期を昭和二七年三月九日とする旨の約定がなされた事実を認めることができる。

そうだとすれば仁三郎と厳との間に賃貸借契約が存在したことを前提とする被告らの主張はその余の点を考慮するまでもなく理由がないことに帰する。なお右事実によれば、本件(い)土地内の七坪部分につき仁三郎は厳に対し使用貸借による権利を有していたわけであるが、右使用貸借は約定による返還期限たる昭和二七年三月九日をもって終了したものと認められ、被告らが本件(い)の土地を占有すべき権原につき、他に何の主張立証もないのであるから、被告桜井は本件建物を収去して、右土地を明渡し、かつ本訴状送達の翌日たる昭和三九年八月六日以降一ヵ月六〇〇円の割合による損害金を支払う義務があり、また被告植村は本件建物から退去して右土地を明渡す義務があることとなる。

二、原告よしの被告桜井に対する請求について。

厳と仁三郎との間で旧建物の敷地を間口二間、奥行三間半とし、その返還の時期を昭和二七年三月九日と定めて使用貸借契約が成立したこと、および右期間の満了によって右使用貸借が終了したことは前段認定のとおりであるから、仁三郎は厳に対し右土地を返還する義務を負担していたところ、昭和三二年二月八日仁三郎が死亡し、被告桜井がその相続人であったことは当時者間に争いないので、被告桜井は相続により右返還義務を承継し、更に昭和三三年五月六日厳が死亡し、原告よしがその相続人であったことは当事者間に争いないのであるから、原告よしが相続により右土地の返還請求権を取得したわけである。しかして右旧建物の敷地が真実は本件(ろ)の土地の範囲を超えていたかどうかの点はともかくとして、少くとも本件(ろ)の土地部分が旧建物の敷地にあたっていたこと、および現に本件建物の一部が別紙図面斜線部分のとおり本件(ろ)の土地上に存在していることは当事者間に争いない事実である。

以上の事実によれば被告桜井は原告よしに対し使用貸借の終了に基づく返還義務の履行として、本件建物のうち、本件(ろ)の土地上に存する部分を収去して、右土地を明渡す義務があるものといわなければならない。

三、結論

よって原告らの請求はいずれも正当としてこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九三条第一項本文を適用して、主文のとおり判決する。なお仮執行宣言の申立については相当ではないと認め、これを却下する。

(裁判長裁判官 岩村弘雄 裁判官 舟本信光 原健三郎)

<以下省略>

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